
上図を見てください。音符の間隔が非常に狭いことがわかると思います。コンピュータ浄書でここまで音符を詰めることは、容易ではありません。

本来の加線の長さでは、左図の下段は加線が繋がってしまいます。そこで、隣り合う加線が繋がらないように、加線を切っているのです。
同じような箇所が楽譜全体に見られます。とんでもない手間の掛かった楽譜と言えます。やはり手間の掛かった浄書を見ると、敬服しますね。

右図のように、スラーと他の記号が干渉するところを、スラーを最小限の範囲だけ途切れさせるのも、凝っていますよね。

私は左図の最初の音符に付く運指記号の位置が気になります。原則として運指記号は補助的な記号で、私は他の記号の位置を優先して空いているところに運指記号を置くべきだと考えています。この画像でもそのようになっていますね。しかし調号と臨時記号の間に運指記号が置かれることで、調号と臨時記号の間の余白が無くなっています。私はこれはあまり見やすいとは思いません。
まず原則として調号と臨時記号の間は空間を設けます。これは、調号と臨時記号が近いと、左図のように臨時記号が調号と一体化しているように見えてしまうからです。

見やすさのための空間に、運指記号を配置してしまうと、見にくくなってしまいます。私なら右図のように運指記号を配置します。



また非常に狭いスペーシングの場合、音符幅が等間隔では、前の音符の符幹と近くなり過ぎるのに対し、後ろにスペースが空くことで、却ってアンバランスな印象になります。
そこで、上昇音型は広く、下降音型は狭くスペーシングすることで、狭い小節幅であっても窮屈にならず書くことができます。
やはりこの楽譜はもの凄く手が込んでいますね。

ただ、一つ気になってしまうのが、間隔が広めの上昇音型のところを良くみてみると、実はそのスペーシングが揃っていなかったりします。左図の青線と赤線では、赤線の部分が青よりも広いのですが、青線と赤線は同じ長さであるべきだと思います。
Finaleで作られた出版譜は、時々スペーシングの不可解な仕様が垣間見えてしまいます。浄書家が手を加えれば加えるほど、直しきれない部分が浄書に出てしまうのです。
ともあれ、この楽譜の浄書家は世界最高水準の実力を持っていることは間違いがないでしょう。こういった浄書はなかなか出来るものではないです。
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