2019年3月15日金曜日

浄書雑感3 ヘンレ原典版『ブラームス:8つの小品 Op.76』

 さて今回はヘンレ原典版ブラームスOpus 76の楽譜を取り上げたいと思います。ヘンレ原典版と言えば2000年代初頭でも昔ながらの彫版浄書を続けていたようですが、現在はコンピュータ浄書に切り替わっています。この楽譜は2012年の出版でコンピュータ浄書で作られています。

 ヘンレ社のホームページによりこの楽譜のサンプルを見ることが出来ます。
Piano Pieces op. 76 https://www.henle.de/jp/detail/?Title=Piano+Pieces+op.+76_1184

 流石に由緒ある楽譜出版社だけあって、一見綺麗に浄書されているように見えるでしょう。実際、五線幅を7mmとし、独自のフォントを使い、譜割を考えて楽譜を作っていることは、とても良いと思います。コンピュータ浄書の普及で五線が小さい楽譜がよく見られるようになりましたが、ヘンレ原典版はコンピュータ浄書であっても本来の五線幅7mmを維持しています。
 画像は6.Intermezzoの各ページ末尾を抜粋したものです。このように出来るだけ区切りの良いところでページが変わるように小節が割り振られています。譜めくりを考えた譜割にすると、多少無理をして段や小節を入れることになるので、浄書の難易度が上がります。従ってこうした譜割のしっかりしている楽譜は、それだけで手間がかなり掛かった楽譜だと言えます。

 ヘンレの4.Intermezzoを見てみてください(ヘンレのサンプルでもこのページは見られます)。右ページが大譜表が6段入っていてかなり窮屈に見えると思います。しかも25~28小節、29~33小節の段がかなり間隔が広がっていて、スペースを圧迫しています。実は一段に少し多めに小節を入れれば、下図のように右ページを5段にすることが可能です。(下図は筆者作成、都合により画質落としています)
旧来の浄書は最初に五線を書くので、段間隔は最初に決めてそれに音符や記号を納めるように配置しますが、コンピュータ浄書は全ての記号を入れた後に、それらが干渉しないように整えるので、あらゆる間隔が旧来の浄書よりも広がりやすいのです。しかし大譜表の間隔が広くなると、演奏者は同時に広い範囲を見なければならなくなり負担になります。大譜表の間隔は狭い方がいいのです。間隔が広がりやすいコンピュータ浄書の特性によって、段や小節を多く詰めて綺麗に浄書をするのは、旧来の彫版浄書やハンコ浄書よりも実は難しいのではないかと思っています。

 さて音符の間隔に注目すると、コンピュータ浄書になってスペーシングの技術は失われてしまったように感じます。
 この譜例は特に1小節目の十六分音符が他の小節のより狭くなっていることがわかると思います。
 このように十六分音符の間隔は一つの段の中では揃っているべきです。

 この譜例を見てください。
 十六分音符の間隔がバラバラですが、間隔が広くなっているところを見ると、不必要なスペースがあります。特に32小節目の1.5拍目と2.5拍目(2/4拍子における)の16分音符の間隔の違いには、理由を見いだせません。
 このように、間隔を空ける必要のあるところだけスペースを設け、そうでないところは音符の間隔を揃えると、元の楽譜とはだいぶ印象が変わると思います。楽譜がなんとなく見にくい時に、私はその原因はスペーシングにあると考えています。音符の間隔は大事です。


 この譜例は、1拍4つの十六分音符のうち、最初の2つと後の2つの間の間隔が意図的に狭められています。これは音符間隔が揃っているように見せるテクニックの一つです。しかし、この楽譜ではそうした工夫以前に、本来揃うべき音符間隔にバラツキがあるため、結局そこまで綺麗には見えません。
 このように間隔が揃っていると印象が全然違うと思います。


 ところでこの楽譜、十六分音符単体の符尾が長すぎるようです。本来十六分音符は、左のように八分音符の旗を2つ重ねたデザインではなく、八分音符とはデザインが分けられています。そのため、十六分音符の符尾は八分音符と同じ長さか若干長い程度で記譜できるようになっています。
 右の画像はヘンレの彫版浄書の譜例ですが、これは長すぎない本来の符尾の長さになっています。

 また符尾と付点が干渉する場合に、符尾を伸ばすか付点を右にずらすかの2択の解決法があります。この楽譜では2つの方法が混在しています。私はこの部分において異なった流儀を混在させるのは好ましいとは思っていません。特に左の譜例は符尾を伸ばすと譜表間隔が広がりすぎるので、付点を右にずらす方が良いと思います。

 ヘンレ原典版のコンピュータ浄書は、伝統を継承しようとする意志は感じますが、残念ながら旧来の浄書から継承できていない技術もあります。今では彫版浄書やハンコ浄書という手法は使われなくなりました。これは仕方のないことだと思います。ただそれらの技術もまた、楽譜の見やすさに必要な技術です。

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