この楽譜は五線幅が約6.2mmで浄書されています。一般的に菊倍版のピアノ譜は、五線幅7mmで浄書されます。前回の浄書雑感で紹介した楽譜は音符の間隔が極限まで詰められ、同じレイアウトでは7mmで浄書するのが不可能な程でしたが、今回の楽譜はおそらく同様のレイアウトでも7mmでも浄書できる程の余裕があります。コンピュータ浄書は線の均質さから多少小さくても視認性を損なわないかもしれませんが、やはり可能であれば大きい楽譜の方が視認性が高いです。

一つの楽譜の中で、異なる記譜フォントを組み合わせて使うのは、あまり勧められることではありません。一種類の記譜フォントだけで浄書する方が、記号の統一感を乱す心配がなく無難です。記譜フォントに限らず、フォント全般は一般と異なる場合はセンスを問われますね。この楽譜では私は記譜フォントの違いはあまり気になりませんが、同時にあえて一部の記譜フォントを変えているメリットもあまり感じません。
ぱっとページ全体を見たときに綺麗に見えるのは、さすがプロの仕事だと思います。譜割りがしっかりしているからでしょう。しかし細かく見ていくと、スペーシングの品質はあまり良いとは思いません。
所々、スペーシングが音価に比例したような等幅のものになっている箇所があります。等幅の方が綺麗に見える場合もあるので、敢えてスペーシングを等幅にしているかもしれません。

同じ譜例で、通常のスペーシングと等幅スペーシングとで比べてみました。
どちらも楽譜として支障はないですが、ト音記号の譜表の視認性は通常のスペーシングが優れていると思います。ただしヘ音記号も含めた大譜表としての視認性は、もしかしたら等幅スペーシングの方が良いのかもしれませんね。ただ私の場合、等幅のスペーシングで見やすくするよりも、大きい五線幅を採用することを優先します。今回の楽譜は五線幅が約6.2mmなので、等幅スペーシングをする余裕があるなら7mmの五線幅で浄書すべきだと思います。
しかし今回の楽譜では、十分なスペースがあるにも関わらず両方の方式のスペーシングが混在しています。
上図の22,25小節は、同じようなリズムと音型かつ、小節の幅もほぼ同じでありながら、スペーシングの方式が異なることがわかります。22小節は八分音符の幅を均一にしたスペーシングに対し、25小節は16分音符の拍の八分音符が広がった通常のスペーシングです。21~23小節を「敢えて」等幅のスペーシングにするのであれば、24~26小節も等幅にすべきだし、スペース的には可能であるはずです。スペーシングの方針が統一されていないことは果たして意図的であるかは甚だ疑問です。
次の譜例を見てください。
上の譜例は小節毎にスペーシングが異なっている例です。赤線はその拍の中で八分音符が最小音価の拍である箇所に付いています。通常のスペーシングであれば、赤線のスペースは同じであるはずです。しかしこの譜例では段内でスペーシングを統一するのを諦め、第30小節では小節内の八分音符だけを同じ幅とし、その結果31,32小節の八分音符幅とは大きく異なっています。
このように小節毎に八分音符の間隔を変えなくても浄書が成り立ちます。小節毎に音符のスペーシングを変化させるのは、そうせざるを得ない時の最終手段だと考えた方が良いと思います。
最後にこの譜例を見てください。八分音符の幅にバラツキがあるのがわかると思います。臨時記号がある所で幅が広がるのは当たり前ですが、何も付いていない八分音符のスペースを見ても、段の中でも小節内でも揃っていないところが多いのです。第47小節と第50小節を見比べればスペースが違うことがわかりやすいと思います。
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