2019年3月23日土曜日

浄書雑感4 全音『モーツァルト ピアノソナタ イ長調[トルコ行進曲付き]―2014年発見の自筆譜に基づく原典版』

 2016年に出版されたこの全音の原典版は、特筆して素晴らしいと言える完成度です。校訂・解説が充実しているだけでなく、浄書の品質も原典版のそれに相応しいものとなっています。

 1080円なので取り敢えず買ってください。
モーツァルト:ピアノソナタ イ長調[トルコ行進曲付き]:全音オンラインショップ
http://shop.zen-on.co.jp/p/106016

 まず五線幅ですが、この楽譜は7mmに若干及ばないぐらいで、約6.8mmぐらいになっています。殆どフルサイズの五線幅と言ってよいでしょう。私は五線幅は可能な限り小さくすべきでないと思っているので、これは素晴らしいと思います。

 これを見てください。
 まず107小節の六十四分音符の加線が切られているのが分かると思います。本来の長さの加線では、隣り合う音符の加線とくっついてしまうために、一つ一つの加線を白い線を入れて切ることで、加線の長さを調節しているのです。

 またこの部分に注目すると、赤枠で囲った連桁が極めて僅かに傾いていることがわかります。これは連桁と五線との交わり方にもの凄く拘っているのです。

 連桁と五線が交わる時に、左図のような隙間を許容するか否かが地域や浄書家によって異なります。ヨーロッパの伝統的なルールではこういった隙間を生じないように連桁を配置させますが、日本の場合は連桁と五線との関係よりも符尾の長さが重視され、こういった隙間を許容されることも多いです。

 この楽譜は、明らかに連桁と五線との交わり方に注意して、連桁を配置しています。

 またこの譜例のように、一部の音符で連桁と連桁の間隔を若干広げることで、連桁と五線の隙間を生じないようにする工夫も、随所に見られます。私の場合は、連桁と連桁の間に五線が入ることは許容しているので、ここまではやりません。



 さてこの譜例をよく見てみると、107小節の三十二分音符の素の間隔が、106小節のものより狭くなっていて異なっています。この譜例では106小節は赤線で示した2箇所と、107小節は1拍目ぐらいしか、素の間隔で音価が共通しているところが殆ど無いので、音符間隔が揃うところがあまり無く、殆ど気にならないと思います。しかし上記の箇所が異なる間隔である必要性は薄いと私は思います。
 問題の箇所の間隔を揃えるとこのようになります。段の中で音価が共通である箇所は、可能ならやはり揃っている方が、綺麗だと思います。

 106小節の左手にある二度音程については、どの位置に合わせるか、二度音程のどちらを左側に配置するかで、右図のようにいくつかの方法があります。
 図の左上はMuseScoreのデフォルトで、下声部のE音の付点が上側についています。基本的には声部が上下に分かれる時は、下声部の付点は下側に付くべきだと思います。ただ、この譜例においてE音の付点を下側につけると、上声部のD音に付点が付く場合の付点の位置と被ります。ただこの表記ではD音に付点があるように見えることは無いと思うので、図の右上のように、やはり下側に付点を付けた方が良いかと思います。
 図の左下は、下声部を左側に配置したものです。この場合、下声部の音符は比較的自然に見えますが、上声部は3拍目~4拍目(6/8拍子)が広がりすぎているように見えます。音符の縦のラインはこれが一番分かりやすいとは思いますが、左手の上声部のリズムが4つの中でもっとも不自然に見えるので、良いとは思いません。
 図の右上は元の楽譜と同じパターンです。E音の付点がD音の付点に見えそうな気もしなくは無いですが、そのように見る人はたぶん居ないでしょう。ただこれは4拍目の縦が上下の譜表で揃っているようには少し見えにくいのが難点です。
 図の右下は下声部の方を拍の縦に揃えています。左手だけ見ればこれが最も自然に見えますが、右手の3.5拍目に左手の4拍目D音が若干干渉しているように見えるのが微妙です。
 私はどれが最善かはこの譜例ではいまいちわからないです。何を重視するかで変わるところですが、恐らくこの譜例では、元の楽譜と同じ右上にするのが良いのかなと思います。


 この楽譜は連桁の位置を相当に拘っているのが伝わりますが、このように同じ音型でも連桁の位置が違う箇所があります。恐らくこの浄書家の流儀は14小節の方が正しく、12小節の連桁の位置は調節し忘れたものだと思います。

 左図のように装飾音符につく、小さいダブルシャープが五線との関係でデザインが潰れてしまっているのは残念な点です。小さい音符の大きさをもう少しだけ大きくし、その臨時記号も若干大きい設定にすると、デザインが潰れないかもしれません。また記譜フォントによっても変わってくるかもしれません。


 ただこの楽譜、トルコ行進曲の部分に関しては浄書に多少粗が見受けられます。
 例えばこの譜例では、赤線で示したところが装飾音符があることで他の八分音符よりも広いスペースを取っていますが、装飾音符の前には十分なスペースがあるので、このように広げる必要は無いと思います。


 また上の譜例のように、装飾音符で間隔が空くようなところで、十六分音符が本来の位置より右側に移動してしまっているところがあります。恐らく1拍目十六分音符の4音目と、2拍目の間が空きすぎることを嫌って、1拍目4音目を右に移しているのだと思いますが、これは不自然でしょう。1拍目十六分音符の3音目~4音目の間隔を他の十六分音符と同じ間隔にして、1拍目4音目~2拍目の間隔が空いてしまうのは許容した方が、より自然だと思います。

 ともあれ、この楽譜はかなり高品質です。コンピュータ浄書の普及によって、浄書の全体の品質はどうしても悪くなる傾向を感じますが、同時に拘り抜くコンピュータ浄書家がいることは、とても大事なことだと思います。

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